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こ いわ い きよし | |
小岩井 清 | |
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◎オランダ・フランスの政務調査報告(作成者 小岩井 清) |
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2006年7月2日(日) ~7月10日(月) 参加議員 小岩井 清、鈴木啓一、小泉 昇 |
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![]() 調査訪問学校 アムステルダム、インターナショナル、コミュニティースクール(エスプリスクール) 日 時 7月3日(月) 午前10時~12時30分 応待者 広報室 ジェミニイ イヨウヨウさん 通 訳 山口 千真さん |
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❖ | エスプリスクールは子供達が多文化社会のなかで自分の居場所が見つけられるような子供のレベルにあった学校で将来の職業や大学、高等専門学校(HBO)へつながる教育が行われている。アムステルダム・インターナショナル・コミュニティスクール(AICS)はオランダに住むあらゆる国籍、階層の人々を国際的に学ぶ初等、中等教育である。 |
❖ 説明と質疑 | |
(1) | 9月の新学期から現在建築中の新校舎に移転する。 現在24の国籍(日本、韓国、北朝鮮などを含む)の子供たち140名が就学している。9月の新学期から170名になる。 |
(2) | 少子化の原因の1つは教育費が高いことだが国際化のなかでインターナショナルスクールの場合はオランダ文部省の一定の条件のもと財政援助が多く支給される。教員はオランダ文部省指定の資格を持つ人が条件である。授業料は年1人3,650ユーロ(約55万円)である。 |
(3) | 対象児童の年齢は4歳から11歳迄 小学校7年制、中学校は11歳から17歳18歳誕生日の関係で、小、中一貫教育で14年制である。オランダの義務教育は5歳から16歳で4歳から入れるが義務ではない。エスプリスクールは学区はない。 |
(4) | 現在は1学級20名(オランダの一般学校は1学級30名)の定数で校長は1名、教頭は小、中で各1名となっている。 |
(5) | 小学生の定員は20名、中学生は25名で切っており、オーバーする場合は入学を待機してもらっている。現在は14人のクラスもあり、原則は1学年1クラスとしているが5、6歳は合わせて1クラスにしている。 |
(6) | 学期は9月8日~11月18日(1学期)、11月21日~2月3日(2学期)、2月6日~4月14日(3学期)、4月17日~7月14日(4学期)、夏休みは6週間です。 |
(7) | 時間割はない。プロジェクトが1~6週間 テーマをつくる。歴史、地理、理科はそれぞれ関連して教える。その間に算数を教える。 1. 8:30~10:00(20分休み) 2. 10:20~12:00 3. 12:00~13:00 昼休み 4. 13:00~15:00(午後は休み 時間なし) 下校 |
(8) | 通学は小学生は登下校とも父母が連れて行く 中学生は自分で通学する |
❖ | オランダは現在国際化によって世界の多民族が居住する国となっている。エスプリスクールの一貫教育の重要性を認識しました。日本における小、中、高の一貫教育を考える上で今回の調査を礎として勉強を重ねていきます。 |
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《広報官ジェミニ・リヨウヨウさん(中央)と小岩井清、鈴木啓一、小泉昇》 |
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《アムステルダムインターナショナルコミュニティースクール付近全景》 |
![]() 〝 環境先進国オランダの驚愕の街づくり 〟 |
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日 時 | 7月4日(火) 午前10時~12時30分 | |
視察都市 | アメルスフォールト市 ニュージーランド地区 | |
応待者 | エネコ・エネルギー シニアアドバイザー ベルナードフェルヘイニン氏 |
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通 訳 | 山口 千真さん | |
❖ 説明と質疑応答 | |
(1) | エネコ・エネルギーの本社はロッテルダム、ハーグなどオランダ国内50市にエネルギーを供給している。主たるエネルギーは電気である。200万戸の需要家で年間販売額は50億ユーロでオランダ3番目の会社である。 |
(2) | 新しい社会、新しいエネルギー、既成のエネルギー(主として天然ガス)とのバランスを考えている。天然ガスは20年後にはなくなっていることが想定されている。エネコの役割は必要なエネルギーをクリーンで安価な新エネルギーを開発し新しい社会、街づくりを目指している。 |
(3) | マイクロパワーエネルギー、個別住宅自家発電を日本のリンナイと共同研究をしている。アメリカとも共同研究し、ともに研究開発は進んでいる。日本のホンダから視察があり熱吸収ポンプをともに開発中である。 |
(4) | アメルスフォールト市ニューランド地区は人口15万人で新しい住宅は6,000戸(15,000人)にすべてソーラーシステム自家発電装置が設定されている。1993年に計画されて10年計画で13,000戸の住宅街、環境にやさしい都市づくりがすすめられている。 |
(5) | エコ住宅の街づくりはアメルスフォールト市が中心となって建設デベロッパー、エネエルギー会社など企業が集まって相談し、計画を作成した。街全体を統一した計画の必要が確認されすすめられた。 |
(6) | アメルスフォールト市は北緯51度に位置している。自然太陽熱を最大限に採取するためリビング、子供部屋は南部屋とし、窓は大きくする。北の部屋は窓を小さくする。 |
(7) | 1994年50戸完成でスタートしたオープン式典にはオランダ国皇太子殿下が出席した。 |
(8) | どの家も2つの電気メーターが設置されて買電、売電の2つであり2000年11月完成の510戸のうち250戸は独自オーナーで、260戸はエネコ(株)がオーナーである。 |
(9) | オランダの石油依存度は6%で新エネルギーは大部分は天然ガスでオランダ北部で採取している。原子力発電はオランダボスレに1基 電力の10%に相当する発電をしている。 |
(10) | 京都議定書の2010年達成目標は充分に達成できる。 |
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❖ | すべての住宅、マンションにソーラー(太陽光発電)システムを装置した街を現地に視察し、世界にもまだ類例のない先進的街づくりと驚きの連続でした。資源小国日本も積極的に太陽光利用のエネルギー依存度を高める必要性を痛感しました。是非オランダのアメルスフォールト市を視察することをおすすめしたいと思います。 |
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《中央右がベルナード・フエルヘイニン氏中央左 小岩井清、鈴木啓一、中央右小泉昇》 |
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《ソーラーシステム(屋根)の街をみる小岩井清》 |
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《ソーラーシステム(屋根)の街をみる小岩井清》 |
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《ソーラーシステム(屋根)の街》 |
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《ソーラーシステム(屋根)の街》 |
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フランス 救急医療救助サービス(SAMU) フランスにおける救急医療体制 ドクターカー制度と救命率の向上 |
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日 時 | 7月6日(木) 午前10時~12時30分 | ||
応待者 | ドクター・ルクレール氏 | ||
通 訳 | ミスターバンドウ氏 | ||
❖フランス SAMU | |
フランスの救急制度は医師が中心である。救急電話を取るのも、事故現場に向かって走るのも、救急患者に最初に手を触れるのも、常に先頭に立つのは医師である。その方がはるかに救命率が高いことは、世界中の多くの事例研究や実績によって証明されている
。 しかも、医師が一刻も早く現場に到着するために、高速自動車やヘリコプターが使われる。救急車は後から遅れてきても構わない。それは患者の搬送手段であって、医師の移動手段ではないからだ。医師はもっと高速の、別の手段を使って救急車よりも早く現場に行き、そこで最初の治療を行う。それによって患者の容態をひとまず安定させ、それから病院へ送り込む。救急車は、そのときまでに到着すればいいのである。 このようなフランスの救急制度はSAMUと呼ばれる公的機関によって遂行されている。SAMU(サミュ:Service d' Aide Medicale Urgente)とは日本語にすれば緊急医療救助サービスとでもいえようか。その設置は1986年の法律で決められた。SAMUの構造はフランス全国を自治体単位によって105の区域に分け、それぞれの地区を担当する独立の支部を置いている。その中で最も大きな組織がパリ支部で、「サミュ・ド・パリ」と呼ばれる。 パリのSAMUは大きな大学病院に本拠を置く。ほかのSAMUも原則として病院に拠点を置いている。各拠点には救急発動の指令センターがある。センターには特殊訓練を受けた交換手と専門の救急医が24時間待機していて、無料の救急電話「ダイヤル15」が掛かってくるのを待っている。パリの場合は、このセンターに交換手と医師を合わせて常に10人近いスタッフが詰めている。 救急要請の電話がかかってくると、まず交換手が出て相手の名前、事故の場所、患者の症状など一通りのことを聞く。その後は医師が電話を引き継いで専門的なことを聞く。 もとより全ては秒単位で行われる。 ここに詰めている医師は「メディカル・ディスパッチャー」と呼ばれる。その判断によって次の対応策が決まる。最も簡単な場合は、かかってきた電話で医学上のアドバイスをするだけで終わることもある。しかし問題が難しい場合は近所の開業医に往診を依頼する。それができないときは救急車を派遣するが、それには必ず医師が乗って行く。 さらに事態が切迫し、生命の危険が想定されるときは、医師をのせた高速自動車を走らせ、それを追って救急車を送り出す。距離が遠い場合はヘリコプターに医師をのせて送りこむこともある。 また死傷者が何人も出るような大災害の場合は、何台もの高速車や救急車を走らせる。担当区域の車や医師だけで間に合わない場合は、近隣のSAMU支部へ応援を依頼する。 このように緊急電話を受け、その内容を判断し、対応策を考え、指令を出す その全てが救急専門の医師によって行われる。その指示を受けて行動するのも医師である。フランスの救急態勢は医師を主体として動いているのだ。 余談ながら、フランスの国土は日本の約1.5倍である。日本にも全国に130か所ほどの救命救急センターがある。この救命救急センターで緊急要請の電話を受け、医師が直接対応し、判断を下すのがSAMUのやり方だと思えばいいであろう。いずれにせよフランスでは、日本の今のやり方とは全く異なる救急体制が取られているのである。 |
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❖ 説明と質疑応答 | |
(1) | セーヌ、サンドニ県(140万人)大学病院ホスピタルアビセンヌ病院で50年前開設された。サミューは救急医療サービスセンターとして15年前開設された。 |
(2) | 県内医療サービスセンター5病院すべての科目医療救急車蘇生装置を設えた救急車が配置されている。 |
(3) | 電話センター(救急すべてここに入る)医師、看護士が電話の話をよく聞くことから始まり救急の程度、方法の適格な判断をする。患者に質問後診断する。 【例】 (a)胸が痛い (b)医師が質問 (c)心臓発作の可能性と診断(e)緊急に間に合う蘇生装置を装備された機材を登載して救急車が向かう。救急車には医師、看護士(婦)(麻酔専門)、ドライバーで向う。 |
(4) | 30名の緊急医師が待機している。そのうち5名は責任者である。医師は各科担当すべてそろっている。 |
(5) | ヘリコプターは過密都市のため動かすのは非常に難しい。空港が県内に所在するため到着した人の感染症の可能性がある場合に備えて特殊な救急車もある。 |
(6) | サミュにかかる電話は2004年度統計で603,539回でそのうち140,836人が救急医療サービスをした人でセーヌ、サンドニ県の人口1,400,000人の10%に相当する。 |
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❖ | 世界で最も進んでいるフランスの救急医療体制を直接視察でき今後の日本の救急医療体制とともに市川市における救急医療体制のあり方にも教訓となる貴重な経験となった。 |
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《サミュの電話受付の現場》 |
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《サミュの救急車》 |
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サミュの救急車 |
![]() 動向と出生率の向上 |
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日 時 | 7月7日(金) 午前10時~12時30分 | ||||
視察都市 | ガレンヌ、コロンブ市 | ||||
応対者 | 第一助役:イブペレー氏、 秘書:モニック・フレーランブランさん 社会事務所:クワタニアンさん 広報課パストーさん、 カトリーヌ岡部さん |
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通 訳 | ミスターバンドー氏 |
❖フランスの少子化対策(出産) | ||
フランスは出産や育児のために退職する女性が少ない。三歳未満児を一人持つ女性の、実に八割が働く。仕事と子育てを両立させる保育の整備は進み、保育需要の七割を担う。「保育ママ」の利用には政府から補助金が出る。 出産時は、産前6週間、産後10週間の休暇を取得でき、その間賃金の84%が保障される。育児休業は3歳まで認められ、分割取得もできる。 育休期間は短時間労働も選択できる。法定労働時間は原則週35時間と短いが、最低でも労働時間の5分の1をカットできる。 出産時の父親休暇、子どもの病気休暇なども柔軟に使えるため、「育休を長期に取る女性はむしろ少ない。産休中の代替要員の雇用も一般的」という。 ■婚外子にも給付 「家族給付も手厚く、約30種も手当てがある」とのこと 日本の児童手当に当たる「家族手当」は、第2子以降の20歳未満に支給され、月約1万5,000円、第3子は月約2万円。 2004年には、出産意欲を高めるため、第一子から出産費約11万円や、3歳未満に月約2万2,000円の養育費を支給する。「乳幼児迎え入れ手当」も施行した。 パリでは子どもが一人いる同棲(どうせい)カップルは三割を超えており、婚外子も給付の対象となる。 |
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❖説明と質疑応答 | ||
(1) | フランスは1980年代合計特殊出生率は1.7人だったが2006年1.9人に2.0迄に近い数になった。 理由は国の政策によるものである。(a)国民の健康 (b)家族に対する経済援助(c)老後対策の3つの理由をあげることができる。 |
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(2) | ORSSAFに企業主、労働者、独立個人営業者などの資金拠出で少子化対策が行われている。 | |
(3) | 2004年 6,200万人の人口 2050年 7,000万人の人口と大統領直轄の人口調査委員会が推定している。 | |
(4) | 女性の職場の法整備、出産2人目迄、出産前6週間、出産後10週間、計16週間3人目出産前12週間、出産後14週間休暇がとれる。 | |
(5) | 1981年以降子どもが3歳になるまで父母どちらか3年間育児休暇がとれる。職場復帰が保障されている。その間父母どちらかにORSSAFから家族手当が支給される。3年間の育児休暇の権利があるが職場復帰を早めてもよい。その場合子どもは保育園に預けてもよい。 | |
(6) | 出産前家族手当事務所(ORSSAFとは別の機関)から840ユーロが支給される(免税)3歳まで1人162ユーロ支給される(免税)3人目から年間750ユーロ支給の法制化が検討されている。家族手当事務所2人目から16歳になるまで支給される。高等教育希望者は20歳まで支給される。 | |
(7) | 女性の社会進出は推定35~40%程度である。 | |
❖日本の少子化対策は国の政策で効果的な法制化が必要不可欠である。晩婚が進んだら効果が上がらない。30歳以前の結婚と若い時期の出産を促進する法制化が必要ではないかとアドバイスを受けた。 | ||
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《ガレンヌ・コロンブス市幹部と。左側手前から小泉昇、鈴木啓一、小岩井清》 | ||
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7月8日(土) 午前7時30分~午後8時 視察最終日は土曜日の休日に当たりパリからバスでモン・サン・ミッシェルに視察に出かけました。 モン・サン・ ミッシェル修道院は全島岩石の建築物で西にブルターニュ地方の岩礁、東はノルマンディの岩壁で大西洋に突き出ております。南西に岩礁が広がります。1000年~1010年に建設された標高80mの岩山の頂上、長さ80mに及ぶ土台上にあり、身廊ではアーケード、階廊席、高窓の3段階に渡る建築様式です。 モン・サン・ミッシェルは現在岩石の島を道路で陸続きにしていますが生態系環境を守るため島に復元すべきとの声があがり復元することが決定されました。まもなく道路は撤去され橋でつなぐ工事が始まります。今回の視察の最終日にすばらしい景観の貴重な世界遺産を訪れることが出来ました。 |
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《モン・サン・ミッシェルの満潮と干潮の全景》 |